特徴
加賀れんこんは、他の産地のれんこんと比べて、多くのデンプン質を含み、非常に粘りがあります。おろして蒸すとその違いが明白で、つなぎを使わずに団子状に成形できるほど粘りが強く、食感は「もっちり」としています。
また、「はす蒸し」と呼ばれる調理法は、加賀料理として有名で、特に10月以降になるとさらに粘りが増し、夏はシャキシャキ、冬はもちもちと季節ごとの異なる食感を楽しむことができる魅力があります。
加賀れんこんはやや小ぶりですが、粘土質の土壌で育つため、肉厚で繊維が細かく、食べごたえがあります。太くて短い節間、そして肉厚な形状をしています。もちもちとした食感で人気。
関東のれんこんと比べると、「さび」と呼ばれる黒みがかった表皮が特徴です。これは、収穫直前まで茎や葉を刈らずに植物を育て、土中の酸化鉄が多く付着することが理由とされています。この「さび」は新鮮なれんこんの証とされ、加賀れんこんの特徴の一つです。
れんこんは、多くの澱粉質と強い粘りが特徴で節ごとに異なる味わいが楽しめ、先端部はシャキシャキとした食感を、根元に近づくにつれてモチモチとした食感を楽しむことができます。
歴史と現状
石川県でのれんこんの栽培は、藩政時代に遡ります。その伝播経路ははっきりしていませんが、加賀藩の五代藩主である前田綱紀の時代から栽培が行われていたと伝えられています。城内で育てられ、薬用として武士階級に提供されていたとされています。
その後、金沢市の大樋町(小坂地区)で「大樋蓮根」として栽培が広まり、加賀の名産品として知られるようになりました。この品種は「地ばす」と呼ばれ、地下約1メートルを匍匐(ほふく)する性質を持っていたため、採取は手間がかかり、収量も少なかったですが、明治時代の中頃まで栽培が続いたとされています。
明治20年代になると、ようやくれんこんの商業的価値が注目され、食用としての栽培が始まりました。この時期に新しい品種が導入され、明治30年代には「青葉種」、明治40年代には「枯知らず」や「赤蓮種」などが栽培されました。
大正時代には「白蓮種」や「南京種」、「赤蓮種」などが登場しました。特に大正中期には、加賀蓮根として知られるようになり、本岡大吉氏によって命名され、市場に出荷されました。
昭和30年代には、「備中種」や「支那蓮種」、「上総種」などが主要な品種として栽培されました。改良のためにさまざまな品種が導入され、昭和40年代には「支那白花」という現在の主要品種が支那蓮種から選抜されて育成されました。このころから加賀地域の広範囲で栽培が進み、一大産地としての地位を築いています。