特徴
かぶら寿司とは、かぶらに切り込みを入れてブリを挟んで発酵させた料理です。石川県の加賀地方で生まれたものが有名ですが、能登地方を除く旧・加賀藩の地域や富山県西部でも広く作られています。
この料理は、金沢の冬季に登場する代表的な料理の一つで、正月料理としても親しまれています。特徴としては、独特のコク味や乳酸発酵による香りがあり、酒の肴としても人気です。野菜を一緒に漬け込むことから、飯寿司にも分類されますが、東北地方の飯寿司とは異なり、野菜の比率が高く、漬物に近いスタイルです。
かぶらやブリという原料は、かつては収穫時期が限られて貴重で高価だったため、入手が難しいことから、大根と身欠きニシンで作る大根ずしが広く作られてきました。ちなみに、富山市で1957年から発売されている「ぶりのすし」も、押し寿司ですが、酢漬けのかぶらとブリを使用するため、材料に共通点があります。
製法
かぶら寿司の製造は主に11月から1月に行われます。まず、切れ込みを入れたかぶらを塩漬けにし、同様に塩漬けにしたブリの切り身や人参、昆布をかぶらの切れ込みに挟む工程です。
石川県ではかぶらを輪切りに、一方富山県では半月切りかいちょう切りにすることが一般的で、また富山県ではブリの代わりに主にサバが使用されます。
さらに、特に百万石青首かぶをかぶらとして使用したり、魚としてサケや鰊、富山県ではサバを用いることもあります。人参は千切りにすることが一般的ですが、金沢市では花形に切ることもあります。
その後、米麹を加えて重しをかけ、数日間または2 - 3週間かけて本漬けが行われます。この過程で、米のデンプンによる糖化と乳酸発酵が進行し、甘味、酸味、うま味、そして独特の風味が形成されます。伝統的な製法では酸味料や砂糖は添加されず、自然な発酵が行われますが、市販品では酢や砂糖、ステビアなどが加えられて酸味や甘味が調整されることもあります。
本漬けの過程で、デンプンの分解物であるグルコースやマルトース、かぶに含まれるグルコースやフルクトースによって、乳酸菌の増殖が促進されます。伝統的な製法では乳酸菌の数が十億個以上になり、乳酸の量も発酵乳と同様の1.5 - 2.0%になります。本漬けが完了する頃には、微生物相は乳酸菌と酵母だけになります。ただし、市販品では乳酸菌の数にはバラつきがあり、十万個以下のものもあります。pHが低い状態でも増殖が容易なLactobacillus plantarumなどの菌が存在するため、魚を加えなくても乳酸発酵が可能です。本漬けが完了した後、放射線状または四角に切り分け、麹を付けたままで食べられます。
歴史
かぶら寿司は江戸時代初期から金沢で作られてきましたが、その詳しい起源は不明です。伝承によれば、金沢の宮腰に住む漁師がかぶにブリの切り身を挟んで麹に漬け込み、正月の起舟を祝う料理として始まったと言われています。また、前田氏の当主が深谷温泉でこの料理を食べて広まったとする説もあります。
宝暦7年(1757年)頃には、「かぶら鮓」が年賀の客に提供されるなどの記録が残っています。金沢市高岡町に住む金子有斐の『鶴村日記』には、1826年に魚屋から「鰤のすし」を贈られたとの記録もあります。商人たちも年初にかぶら寿司や大根ずしを贈る風習がありました。かぶら寿司は武士など身分の高い人々、大根ずしは一般の人々に食べられていたとされています。
明治時代に入っても、年初にかぶら寿司を贈る風習は続いていましたが、次第に衰退していきました。しかし、1920年代に入ると、一般の家庭でもかぶら寿司を作るようになりました。同時期に商品化に取り組む業者もいましたが、販売量は伸び悩みました。第二次世界大戦後、1953年頃から進物用のかぶら寿司の販売が増え始め、1955年頃からは家庭での漬けこみが減少しました。また、遠方への輸送が可能になるポリエチレン容器の利用が始まりました。
1965年頃からはかぶら寿司を製造する漬物業者が増加し、1972年頃からはリバイバルブームなどによって需要が急増しました。マスコミの宣伝もあり、知名度が高まり、全国各地で食べられるようになりました。贈答品としての需要も根強く、近年では高級な贈り物として広く利用されています。また、能登半島の内浦地方にもかぶら寿司を食べる地域が広がっています。